サンテグジュペリ、一人のドイツ空軍パイロット、そして森 鴎外
皆さま「星の王子様」はお読みに、ご覧になっていますか?
ただの童話のように見えて、実は大人になってからこそ心に沁みるお話です。
「大切なモノはね、目に見えないんだよ」
世界で一番多数の言語に翻訳されている物語が「星の王子様」だそうです。
さて、お話しの内容はもちろん皆さまご存じと思いますが、
作者サンテグジュペリの最期についてご存知ですか?
もともと「空」「飛行機」に憧れ魅了されていたサンテグジュペリは、
時代がたまたま先のヨーロッパ戦線(第二次世界大戦)であったので、
彼はフランス空軍のパイロットになりました。そしてある日、
たまたま夜間偵察中、ドイツ機に撃ち落とされ、その最期を迎えています。
さてここからです。
当時戦闘機からは敵機パイロットの顔が見えていたそうです。
敵国でありながらドイツ空軍パイロットは、
「自分の出撃のとき、サンテグジュペリに遭遇しないように、撃ち落とさなくてすむように。」
と神様に祈ってから出撃していたそうです。
しかし現実には撃ち落とされてしまった。撃ち落としてしまった。
数年前イギリスBBCで短く報道されたニュースがありました。
「1人の元ドイツ空軍パイロットが亡くなった。彼は死の直前、言い残した。
「サンテグジュペリを撃ち落としたのは自分だ、天国に行く前にどうしても告白しておきたかった」と。」
特にキリスト教圏では「死とは神様の元へ帰ること」ですから道理です。
当時、最前線の状況は即、翌日に公表されていたそうです。そこで彼は「昨夜自分が撃ち落としたのは……あのサンテグジュペリだったのだ」と言うことを知り、以来70年以上、心の傷としてこれを抱えて生きてきたそうです。
戦争の一場面にすぎないけれど、この小さな一場面で大きな悲劇が残りました。
私が共鳴を受けたのはこの元ドイツ軍パイロットの生き方、来し方です。いずれ死ぬとき、どなたにも小さな後悔はたくさんあるでしょう。しかし彼は、使命だったとは言え、大きな後悔があり、それを告白することで肩の荷がおりたそうです。
さて、一方、森 鴎外。
教科書にも載っておりますし、ご愛読者さまもたくさんいらっしゃるでしょう。
文豪として名高くたくさんの名作を残してくれています。
鴎外は作家として最期を迎えましたが、それ以前は帝大(今の東大)卒業の医師であり、陸軍軍医、官僚でありました。
彼は陸軍軍医部長として日露戦争に臨み、それまで脚気対策として陸軍で採用されていた麦飯を禁止し、日露戦争で、「兵士は米を食べていればよい」と一貫して主張しました。コメにはビタミン等ミネラルがないので、それが原因の「脚気(かっけ=ビタミン不足による疾病)」で陸軍では約25万人の脚気患者を出し、3万名近い兵士が命を落としました。
かたや海軍は「麦」を食べていたことから脚気患者は、わずかに87名で、少なくとも脚気による死者は出ませんでした。麦にはビタミン等ミネラルが入っていたからです。
このことは当時論争になり、もちろん脚気を細菌感染論だとする森を擁護する人々もありますが、森は「麦」を主張する学者に向かって「この田舎学者がっ!」と言い放ち(証言あり)、麦飯による治療効果の報告や、糠抽出物の有効性の報告も無視し、その後も米一本の方針は一切変えなかったそうです。戦時中ですからもろもろはあったとは思いますが、その後も麦をなんと禁止していたのです。
「森 鴎外」は誰もが尊敬する文豪ですが、「人間 森 林太郎」はどんな人だったのだろう?
森 林太郎は最期のとき何を思ったのか? その頃にはすでに栄養学はもっと進んでいます。
森が最期のとき、米と麦について何か思う所があったのか、なかったのかとても知りたいです。
最期の瞬間に「人間としての後悔」が残っていたとしたら(それとも何も感じていない人間だったのか?)どんな気持ちだったのでしょう?
私自身はドイツ軍パイロットや森 林太郎とは比べ物にならないほどの小粒ですが、いずれ死ぬのは誰もが同じです。できればその時、大きな後悔を抱えていたくはないと思います。
自分の最期も、もう近い将来、いずれのことになってきました。
(いずれと言っても地球史で20~30年は誤差でしかありませんので、まだまだ先のことです)
私個人的には、ドイツ軍パイロットのように逝きたい、と願って働いていこうと思っています。
今年はアルベール・カミュの「ペスト」をお読みになった方がたくさんいらっしゃるそうです。
私もその一人ですが、困難の時、自分が逝くとき、本当に大切なものは何か?
「本当に大切なものは目に見えない」ことがよくわかりました。